ブハラその2
ブハラの旧市街には小さな路地がたくさんあり、ゲストハウスが軒を連ねています。
外見はともかく、中は割とまともです。
タキと呼ばれる昔のバザール跡のお土産屋さん街。
小さな女の子が櫛に絵を描いていました。
庶民の台所デフコン・バザールへ。
アーモンドとカンダロットという豆菓子を買いました。各200gで2万スムと5000スム。外国人価格だろうかと思いましたが、まっいいか。
揚げパンみたいなものを買いました。想像していたものと味が違った。
サムサ(肉野菜が入ったパイ)を購入。これはまあまあいけます。
中央アジア最古のイスラム建築、イスマイール・サーマーニ廟を見学。9-10世紀に造られたサーマーン朝一族の霊廟。れんがを積み上げただけでこの模様を作り上げているのは見事です。この当時からこの地域の人々に建築に対する独特のデザイン感があったのでは、と思わせます。13世紀のモンゴル来襲で街は破壊されましたが、この廟は砂に埋もれていたおかげで破壊を免れたとか。
このモスクも砂に埋もれていて20世紀になってロシアの考古学者によって掘り出されたそうです。9世紀から破壊されてはその上に新しく建てられたという歴史が刻み込まれているらしい。
あんなに分厚かった札束もどんどん薄くなり財布に収まるぐらいになりました。次の街ではまた両替が必要かもしれません。
明日は朝4:14発という変な時間の夜行列車に乗らないといけないので今日は早寝します。
サマルカンドからブハラへ
9:50発のアフラシャブ号でブハラに向かいました。昨夜相席になった日本人2人も偶然同じ列車でした。
同じアフラシアブ号でもタシケント~サマルカンドより速度が遅い気がします。時速100㎞ぐらいしか出てないのでは。
1時間半でブハラに到着。ブハラ駅にはホステルが手配してくれたドライバーが待っていてくれました。ホステルまでの17キロを3万スム(約339円)で送ってくれるのは良心的です。少なくても価格交渉しなくて済んだのは良かった。
ちなみにメーターがついているタクシーもあるみたいですが、まだ行き当たったことがありません。後か先かどちらにしても価格交渉が必要なのは面倒です。
ブハラはサマルカンドと同様2500年の歴史を持つ古都。また中世には高名な神学者を排出したりしてイスラム世界の一つの核になっていました。それゆえにイスラム建築の遺跡が数多く残されています。
街歩きの始まりは市民の憩いの池、ラビハウズから。
木陰で昨日食べ残したナンとコーラで簡単な昼食。心地よい風に幸せな気分になりました。
2階建てのシティツアーバスを発見。1時間で市内の主な見どころを回ってくれるという。ただし2名以上じゃないと運行しないというので車内で待つことに。約1時間半待ってやっとロシア人のおばさん3人とウズベク人青年1名が参加することになり出発。
1622年に建てられた神学校ですが、偶像崇拝を禁じるイスラムの教義に反して顔が描かれています。鳥獣を描くのも違反です。よく今まで残ったものです。
1127年に建造された高さ46mのミナレット(塔)。塔から突き落として処刑する刑場としても使われたということです。昔の死刑は残酷です。
隣のカラーン・モスクは1514年建造。カラーンはタジク語で「大きい」の意味とのこと。
ブハラ・ハンの居城。何度も破壊・再建を繰り返し、現在のものは18世紀のものだというから古くはない。
シャフリサブス1日観光~サマルカンド
サマルカンドから峠を越えて世界遺産の1つシャフリサブスに出かけました。
往復タクシーを英国人のおじさんと2人でシェア、一人125,000スム(約1419円)で貸切ることで交渉妥結。片道約1時間半のドライブです。
シャフリサブスはティムールの生まれ故郷。ティムールゆかりの建築物が随所にあります。中でも目玉は14世紀の建造物アク・サライ宮殿の跡。崩れる前はもっと大きかったようですが、14世紀にこんな巨大な建物をよく作ったものです。
近寄ってみると装飾も残っています。
入場料はなかったですが、スマホで写真を撮っていたらおばさんが何か言いながら近寄ってきました。写真を撮るのも無料ではないらしい。おばさんに7,000スム(約79円)支払いました。どこから来たか、と聞かれそれも書き留めていたみたいですが、そんなことが必要なのだろうか。
昼食は水餃子スープ風。
サマルカンドに帰還後、昨日スキップしたレジスタン広場に。入場料4万スム(約454円)は遺跡入場料の中では最高に高いと言えます。サマルカンドの建物に青色が多いのはティムールが青が好きだった、という話がありますが、この突き抜けるような青空の色と無関係とは思えません。
細かい装飾が素晴らしい。
黄金の礼拝堂も見事です。
夕食はMさんおススメのサマルカンドレストランへ。ウズベク音楽の生演奏と歌があるということで楽しみにしていました。ところが昨日も満席で断らましたが今日も席がないと言われ、どうしようかと思っているところに日本語で話しかけてくるウズベク人が。日本に2ヶ月行ってました、ということですがそれにしては日本語上手。席がないということを伝えると、そこに日本人2人がいるので相席を頼んでみましょう、ととて
も親切な申し出です。お二人も快く相席に応じてくれました。
リズミカルな音楽と歌が切れ目なく流れ、気が付くと3歳ぐらいの女の子が前のほうに出て一人で踊っています。そのうち男の子たちも踊りに加わり、やがて大勢の老若男女が思い思いの振りで踊りだしました。生活の中に踊りというものが自然に溶け込んでいる、そういう文化なのではないか、と思いました。
タシケントからサマルカンドへ
ウズベキスタンが誇る高速鉄道、8:00発のアフラシアブ号に乗車。
車両ごとに客室乗務員がいます。乗車の際にチケットを回収、でも下車直前にチケットを手渡しで戻すのはどういうわけなのだろう。
それなりに高速・快適。車内でパン2個とコーヒーのサービスがありました。
2時間でサマルカンドに到着。駅前にたむろする白タクと交渉し3万スムでホステルへ。
ホステルでたまたま知り合った日本人のMさんは世界160か国以上を旅した猛者。今回の旅は7月に出てきて中央アジアを周遊し、最終的には11月にイスタンブールから出国するという。夜行列車でウルゲンチに旅立つMさんにサマルカンド半日観光に付き合ってもらうことにしました。サマルカンドは何泊目か、とても詳しいので心強いです。
昼食に連れて行ってもらったレストランで食べたラグマン(中央アジア風焼うどん?)
苦手なパクチーがふんだんに入っていて、どけて食べるのが面倒でした。中央アジアの料理には結構パクチーが入っているらしい。中央アジアの食事は自分には合わないかも。
ティムールの孫ウルグ・ベクは天文学者でもありました。15世紀に詳細な天文観測記録をを残しているのは驚きです。
併設の博物館といっしょにガイドしてくれるというのですが、日本語でと頼むと推されて出てきた女子大生。日本語を習い始めたばかりという感じでガイドなんかとてもできるレベルではない。これでガイド料取るなら詐欺だと思っていたら、ガイド料は要らないということでした。良心的です。
紀元前の聖人ダニエルのお棺。棺が巨大。
モンゴルに滅ぼされる前のサマルカンドの中心地。
◎魔法の言葉「アッサローム アライクム」
Mさんは胸に手を当ててすれ違う人や道端にいる人にしきりに「アッサローム アライクム」と話しかけます。すると相手もにこやかに胸に手を当てて「アッサローム」と返してきます。ちっちゃな子供までそうするのです。日本語なら「こんにちは」ですが、これが現地に溶け込む極意なのでしょう。
MさんとはLINEを交換し、ヒヴァで再会することを約して別れました。
2晩もビールを飲んでないので最後に缶ビールを買って乾杯しました。
夜はシャシリク屋へ。シャシリクは中東ではシシカバブと呼ばれるもの。メニューはなく串を選ぶとそれを焼いてくれる。
チキンとビーフの串を選んだらこうなりました。
ビール込みで4万スム(450円)
タシケント市内
タシケントは280万人の人口を擁する中央アジア最大の都市。旧ソ連の中でも、モスク
ワ、サンクト・ペテルブルク、キエフに次ぐ第4の都市です。
まずはティムール広場へ。
旧ソ連からの独立後、国を挙げてティムールを民族の英雄に仕立て上げました。
ティムールが1代で大帝国を作り上げたのは確かですが、そのティムール帝国を滅ぼしたのは遊牧ウズベク人なのだけれど。。。
すぐ近くにはティムール博物館。外装も内装も豪華です。
ウズベキスタン歴史博物館へ。この地の歴史がわかるようになっていますが、英語の解説は少なく日本人には不親切です。
ここの目玉はガンダーラ仏。(ちょっと手ブレを起こしてしまいました。)
クシャーナ朝期の仏像ですが、クシャーナ朝はインドの王朝かと思っていたらかなり中央アジアにも支配を及ぼしていたようです。
昼ご飯はフィッシュサンド+コーラ。
公園で古本市場が開かれていました。
聞いたらウズベク語とロシア語の本が半々ということでしたが、どちらもキリル文字なので見分けがつきません。
タシケントの地下鉄について
タシケントの地下鉄は世界一美しいと言われます。その一部を紹介します。
照明の使い方、柱のデザイン、壁面など駅によってみな趣が異なります。各駅を見て歩くだけで楽しくなります。
詳しくはこちらのブログを。
https://www.travel.co.jp/guide/article/34998/
乗車券は何区間乗っても1回1400スム(約16円)。最新のガイドブックには1200スムと書いているので最近値上がりしたようです。国民が自国の通貨を信用してないから価値が下がる一方ではないでしょうか。
仁川からタシケントへ
仁川空港は初めてですがともかく巨大。ウズベキスタン航空のチェックインカウンターを探すのに一苦労でした。中東系の顔立ちの一団がいたのでもしかしたらと思ったらやはりそこがウズベキスタン航空でした。出発の2時間半前に着いたのにちょう~だの列。列が通路にはみ出してとぐろをまいていました。しかもどでかい段ボールやスーツケースなどそれぞれがカートに積んでる荷物が半端ない。買い出しかそれとも買い付けに来たのか、というぐらい。これだけの荷物を積んでフライトは大丈夫なのかと心配になりました。チェックインカウンターにたどり着くのに1時間くらいかかりそうだと思っていたら、やっぱり1時間かかりました。
仁川から1時間で青島上空、そこから1時間で天津。北京上空を避けて北に航路を変えさらに西へ。内モンゴルのフフホトを過ぎてからは延々と砂漠が続く。ウルムチ上空は厚い雲に覆われていて、雲が晴れると雪を頂く峰々が顔を表しました。これは天山山脈か。峰々の稜線は幾重にも連なり天山がいくつもの山脈の集合体であることがわかります。
さて機内のアナウンスはウズベク語、ロシア語、英語の順。機内誌もウズベク語、ロシア語、英語の併記でした。ロシア映画とかウズベク音楽とか珍しいエンタテイメントがあって機中楽しませてもらいました。
機内食はビーフ、チキン、フィッシュの選択。はやりイスラムの国だから豚はないか。
タシケントに着いたらまず通貨の両替と思っていたら、到着ロビーには銀行はなく、教えてもらった両替機は故障しているし、ネット情報によると出発ロビーに無理して回れば両替ができるということでしたが。もう面倒なので銀行に寄ってホステルへ行くとい
う条件で10US$で白タクと折り合いをつけました。ホステルからもタクシーに決して10ドル以上払わないようにとわざわざ事前メールで知らせてくれていましたが。
銀行で1週間分の予算として2万円をウズベキスタン・スムに両替したらご覧の通りの分厚い札束に。現地通貨では176万スムという大きな値です。
話には聞いていましたが、ポケットには入りきらないし、仕方なくショルダーの中に放り込みました。単位が大きすぎて支払いの時にも騙されそうで怖い。
過去に猛烈なインフレがあった証拠でしょうか。早晩デノミが必要でしょう。
ホステルにチェックイン後歩いてタシケント駅へ。
駅前だというのにほとんど人影がない。
事前にインターネットでサマルカンド~ブハラ間のチケットを購入したのですが、支払いの段になって画面の繊維が遅く、クリックしているうちにエラーとなり再度最初から手続したのです。後から見るとチケットが2枚発行されていました。失敗!
気を取り直してキャンセルのレギュレーションを確認すると、出発1時間前までならキャンセルできる由。ダブり分を返金してもらうためにチケットオフィスまで来たのです。ところが窓口のロシア系のお姉さんには全く意図が伝わらず、押し問答しているところに助け舟があって、別の窓口を教えてもらいました。そこではスムーズに返金処理できました。クレジットの口座に返金されるとのこと。信じて待つことしよう。
旅の計画と準備
旧ソ連側のシルクロードを擁する中央アジアはなかなか立ち入ることのできない地域でしたが、2018年2月にウズベキスタン入国の際のビザが免除されたことを機にぐっと身近な存在となりました。旅行作家の下川裕治氏の最新エッセイの中でも今一番おすすめの旅先としてウズベキスタンが挙げられています。
中央アジア5か国のうち、ビザが不要なのはウズベキスタン、キルギス、カザフスタンの3か国。ビザをわざわざ取るのは面倒なので、旅もこの3か国中心に行こうと思います。
旅の前半はウズベキスタンの4つの世界遺産(サマルカンド文化交差路、シャフリサブス歴史地区、ブハラ歴史地区、イチャン・カラ)を巡り、後半はキルギスにわたって天山山脈に抱かれた大自然を満喫したい。
■飛行機チケットの予約
ウズベキスタンには福岡からは直行便は就航してないため仁川乗り換えとなります。仁川まではイースター航空というLCC、仁川~タシケントはウズベキスタン航空でチケットを取りました。中央アジアには大韓航空、アシアナ航空、ウズベキスタン航空の3社が毎日仁川~タシケント便を飛ばしているのです。これは第二次大戦に際し、国境の朝鮮人が日本に協力することを恐れたソ連が大勢の朝鮮人を中央アジアに移住させたという悲しい歴史に由来するらしい。中央アジアにはその朝鮮人たちの子孫が生活を営んでいるのです。往復チケット代は福岡~仁川は11,000円、仁川~タシケントは56,000円、合計で8万円以内に収めることができました。
■鉄道乗車券の予約
ウズベキスタン旅行の楽しみの一つはタシケント~サマルカンド~ブハラの高速鉄道乗車。そしてもう一つはブハラ~ヒヴァ間の夜行列車。この列車は何と線路区間の6-7割が隣国トルクメニスタンを走っているのです。トルクメニスタンは観光客を拒絶しているような国で、個人で観光ビザを取得するのはまず不可能です。トルクメニスタンを旅行しようとすると、比較的容易な方法は第三国に抜けるトランジットビザを取ることですが、それも忍耐力と時間的余裕がないとだめなので今回はあきらめました。で、なぜこの列車がトルクメニスタン領内を走ることができるかというと、領内で停車しないからいいのだということです。ビザなしでトルクメニスタン領内を駆ける・・・それは大いに「テツ心」を刺激する話ではないですか。
https://www.rome2rio.com/map/Bukhara/Khiva
列車の予約はウズベキスタン鉄道のホームページから。
https://eticket.uzrailway.uz/?lang=en
45日前から予約ができるのですが、タシケント~サマルカンド間の特急”アフラシャブ号”だけは5日前にならないと画面に表示されないことがわかりました。この区間のアフラシャブ号はすぐに売り切れると聞いていたので気をもみましたが5日前の夕方に空席を見つけ無事ゲットしました。
(ホームページは 英語表記に変えられますが、地名はキリル文字のままだしとても使いづらいのですが、日本語で親切に操作方法を教えてくれているブロガーさんがいて、その方の説明に沿って予約ができました。本当に助かりました!)
■SIMカードの購入
個人での海外旅行にスマホは必須です。特に地図アプリ、翻訳アプリ、通貨換算アプリの3つは常時使用することになるでしょう。ところが情報によるとウズベキスタンは通信事情はあまり良くないらしい。WiFi完備のホテルでもロビーでメールを送受信するのがやっとという情報もありました。スマホが普通に使えるようにまずWifiルータをレンタルすることを考えました。しかし18日間もレンタルすると費用が数万円になってしまうため、早々にあきらめました。メジャーな旅先なら日本で海外SIMを購入していくという手がありますが、それもできないので現地でプリペイドSIMを買って入れ替えていくしかないかと思っていたところ、世界150か国で使えるSIMカードというのをネットで見つけました。150か国の中に訪問する3か国が含まれていることを確認。中継地の韓国ももちろん含まれていました。
「貼るタイプ」と「カードタイプ」の2種類のSIMがありますが、貼るタイプなら入れ替えそのものが不要になるので貼るタイプを注文しました。ところが届いたSIMを挿しても接続がうまくいかずサポートに連絡したところ、端末との相性で貼るタイプがうまく作動しないことがあるとのこと。カードタイプに変更か返金します、とのことだったのでカードタイプに変更してもらいました。そして届いたカードタイプで無事接続ができたのです。良かった!サポートも迅速対応で高評価です。貼るタイプのほうが良かったけど仕方ない。デザリングも試してみたけど問題なくできました。
世界150か国の中に日本も含まれているので、出国前に動作テストができるのがこのSIMの利点です。さらに出発前にSIMを差し替えておけばもとのSIMを持っていく必要もなし。旅行中にもとのSIMを無くす心配もないわけです。
■オフライン用地図のダウンロード
ネット情報では、旅行中は通信量抑制のため地図アプリはできるだけオフラインで使うほうがいいらしい。オフラインマップのMAPS.MEとグーグルマップの両方をダウンロードし使い分けることや、グーグルマップで登録した地点をMAPS.MEにコピーする方法など、ブロガーさんたちの記事から教わりました。
ところで、移動手段の検索には”rome2rio"というサイト(アプリ版もあり)が役立ちました。移動手段に関してはグーグルマップより優れていると言えます。グーグルマップでは検索しても出てこないもの(電車など)があります。
ほかに航空券の予約はスカイスキャナー、ドーミトリーの予約はBooking.comを使い日程のほとんどを埋めました。
■ウズベキスタンの治安状況
「~スタン(ペルシャ語で~の土地)」がつくと危ないところ、というイメージがありますが、実際のところはどうか。2018年版の世界テロ指数(Global Terrorism Index)を見ると、テロの指数が高いのは1位イラク、2位アフガニスタン・・・と来て、中央アジアの5か国は日本(67位)より下位にあります。治安は悪くない、と考えてよさそうですが、それでも外務省の危険情報によると国境付近は危険レベル2や3に指定されています。
特にタジキスタンおよびキルギスと接するあたりは国境線が複雑に入り組んでいるばかりか、他国の中に自国の飛び地があるという複雑怪奇な状態になっていて、その飛び地が反政府勢力の温床になっていたりしてとても危ないようです。ここには近づかないのが無難です。