シニアバックパッカーの中央アジア旅日記

ウズベキスタンとキルギス周遊16日間

帰国

9月15日午後4時、福岡空港に降り立ちました。

不自由で不便で不衛生な外国から帰ると、日本がこの上なく素晴らしい国に思えます。

でも何ヶ月かしたらまた不自由さを求めて旅に出かけたくなる気がします。

 

道に迷ったり言葉が通じなくて困ったことなど日記には書かない出来事がたくさんありました。文字も読めない、言葉も通じない世界にぽつんと一人置かれた時の心細さといったらありません。中国のように漢字が並んでいるだけでも何となく安心です。

最後は何とかなりましたが、それも貴重な体験かなと思います。帰国便のタシケント空港で出会った若者は、サマルカンドのホテルで金を盗まれたと言っていました。金は戻ってこなかったけど、ホテルや警察の人にとても良くしてもらって逆にいい思い出になったそうです。

 

今回3か国を回りましたが、複雑な民族の交錯を垣間見ることができました。ウズベク人、キルギス人、カザフ人、タジク人が自国ばかりでなく他国にも住んでいます。ブハラで出会ったカザフ人の青年によると、ウズベク語、カザフ語、キルギス語はもともとトルコ語系で文法も同じだし単語の発音が違うぐらいなのでウズベク人、キルギス人の会話は60%ぐらいは理解できるそうです。しかし、サマルカンドやブハラにはタジク人もたくさん住んでいて、タジク語は聞いても全然わからないと言っていました。タジク語はペルシャ語系なので別系統になります。それぞれ多民族国家なので、自国語とロシア語は学習していて、共通する言葉はロシア語ということになります。昔からシルクロードの交易に従事するオアシスの民はバイリンガル、トゥリリンガルが当たり前でしたが、その伝統を引き継いでいるように思えます。

 

スマホの登場で旅の仕方も随分様変わりしました。外国にいてもメール送受信や最新情報の入手ができるし、便利なアプリが旅を快適にしてくれます。またネット上の先人たちが旅先の情報をいろいろ残してくれていて大変助かりました。ただ、翻訳アプリは相手に見せても首をかしげる場面が多々あったり、カメラ入力で出て来る日本語が意味不明だったり、翻訳の精度はまだまだだと感じます。

 

さてこの旅日記は、多分旅行中夜は暇で仕方ないだろうと思って始めました。まさにその通り、夜の退屈しのぎにもってこいだったのですが、今となっては読んでくださってる人がいることが励みになり、辛い中でも旅を続けられた面があったことは否定できません。

 

ご愛読どうもありがとうございました。