アルマティ市内
アルマティはアルマ=アタ、あるいはアルマトゥイとも呼ばれます。
アスタナに首都の座を譲ったものの、今でも人口200万人のカザフスタンの最大都市です。
ソ連時代に造られたため歴史はないですが、碁盤の目のように区画され、街路樹や公園の緑は多く、ベンチもいたるところに配置されゆったりとした街になっています。
近代的なビルが林立し、今まで訪れた2か国とは明らかに様相が異なります。
ウズベキスタン、タジキスタン、キルギスの3か国はモスクワへの出稼ぎで経済が成り立っている面があるのに対し、カザフスタンは地下資源に恵まれて経済が順調なことの現れでしょうか。
タクシーのマークをつけた車がほとんど走ってないので最初は苦労しました。
キルギスで便利だったアプリ「2GIS」がここでも使えることがわかり、バスを使うことにしました。しかし、乗車賃は80テンゲのはずですが、なぜか現金で払おうとすると150テンゲを取られました。そのなぞは後で解明されます。
アルマティの街歩きを楽しみました。
中央バザールは働いている人がみな制服らしきものを着ているのが印象的でした。
第二次大戦の独ソ戦で戦死した28人の戦士を記念して作られた公園。
公園の中に1904年建立のロシア正教会があります。
近郊のメデウにバスで行こうと思い、バスの乗り方を教えてもらおうと英語のできそうな若い女性に声をかけました。
まず、交通カードを購入しないといけないと教わりました。交通カードがないと、毎回現金150テンゲを取られるということです。近くのキオスクに連れて行ってもらい、交通カードを購入後、チャージ機(街中いたるところにあります。)で現金をチャージする方法を教えてもらいました。そんなこと、旅行者にわかるわけがありません。
それから15分くらい歩いた先のメデウ行きのバス乗り場まで連れて行ってくれたのです。
名前も聞かなかったですが、外国で出会う親切は心に沁みます。
メデウはアルマティからバスで30分ほど森に入っていった先にあります。
このスケートリンクでは数々の世界記録が生まれたそうです。
そこから40分ほど山を登った先には絶景が・・・
あるはずでしたが、雲がかかっていてちょっと残念でした。
下山して地下鉄に乗りました。
2011年に開通したということで、まだ新しい乗り物です。駅も9駅しかありません。
タシケントの向こうを張ってか、構内は美しくデザインされています。
はじめは核シェルターのつもりだったに違いない、というぐらい地下奥深くに線路がありました。
明日はタシケントに飛行機で戻り、帰国の準備をします。
イシク・クルからアルマティへ
も終盤に近付いてきましたが、最後にちょっと欲張ってカザフスタンに寄ることにしました。アルマティはチョルポン・アタから山を越えればすぐなのですがルートがないので迂回していきます。
今朝は天山山脈もきれいに見えました。
カザフスタン側の山も朝日に映えて美しく輝いています。
昨日の道をたどりバスでビシュケクに戻ります。
今日は快晴で、湖の向こうに天山山脈がまるで蜃気楼のように浮かび上がって見えます。絶景です。ここまで来たかいがありました。
湖を離れてからの景色もなかなかでした。
ビシュケクのバスターミナルで今度はアルマティ行きのバスに乗り換えます。
キリル文字の地名が読めないとバスにも乗れません。だいぶん慣れました。
人数が揃うまで1時間半ぐらい待たされました。
出発してから30分ぐらいでもうカザフスタンとの国境に来ました。バスを降りて荷物を持って出国審査を受けます。荷物検査はありませんでした。キルギスは入国の際も荷物検査なしでした。なんと緩い国でしょう。
そのあと100mぐらい先のカザフスタン入国審査場まで歩いて行きました。
カザフスタンでは荷物検査がありました。乗客全員が通過するまでに1時間ぐらいかかりました。
カザフスタンに入国後すぐにキルギス・ソムの残金を両替。1300ソムが6500テンゲに。カザフスタンの通貨の単位は〒に似ているマークでテンゲ。テンゲも単位の大きさはまあまともです。US$30も両替し、11550テンゲになりました。
車中から見える風景。地平線のかなたまで草原が続いています。
ビシュケクからアルマティまで5時間超かかりました。まる一日をバスで過ごしたことになります。
ここに見える山々を今朝は反対側から見ていたことになります。
明日はアルマティ市内を観光します。
イシク・クル(イシク湖)
9月10日は晴れ間が見えていました。気温も温暖です。
今日はキルギス観光のメインの目的地、イシク・クルに向かいます。
イシク・クルは琵琶湖の9倍の面積を持ち、バイカル湖に次ぐ透明度を誇ると言います。イシク・クルに流れ込む川はあるが、イシク・クルから流れ出す川はないという不思議な湖で、そのためかある研究によると13世紀から現在までに湖面の水位は100m上がったそうです。
1600mの標高にありながら不凍湖であるのも謎とされます。唐の玄奘三蔵は天山山脈を越えてイシク・クル湖畔にたどり着きましたが、この湖を「熱海」と記しています。
ソ連時代にはこの地に外国人が足を踏み入れることはできませんでした。かの井上靖もイシク・クルを一度訪れたいと切望していたそうですが願いが叶うことはありませんでした。・・・というような予備知識を仕入れたものだからぜひ行ってみたいと思ったのでした。
ミニバスは人数が揃ってから出発するシステム。人が集まるまで30分ぐらい待たされました。
途中の車中からの風景。奥の山々はカザフスタン領です。
チョルポン・アタには4時間のドライブで到着しました。
チョルポン・アタはソ連時代に開発された避暑地で、現在もイシク・クル観光の中心地です。
期待一杯でやってきたのですが、ホテルのオーナーは英語ができないし、ホテルとは名ばかりの民宿で中はお粗末。景色も天山山脈は雲に隠れているし、風が吹くと冷たく、街の人通りも少なくてすでにシーズンオフ感が。。。こんなに早くシーズンが終わるとは思ってませんでした。完全に時期を誤りました。湖水浴をしようと海パンまで持ってきたのに。。。
街中に歴史文化博物館があったので入りました。この地の歴史やキルギス民族の歴史を展示物とともに紹介しています。
街中で見つけた看板。寿司のデリバリーっぽい。
しゃりの中にさらに寿司ネタが入っている寿司を初めて見ました。
スーパーでは魚も売ってました。イシク・クルで獲れた魚でしょうか。
夕方になると天山山脈も少し見えてきました。
天山山脈の最高峰ポベダ(7439m)はこの方向です。
日の入りは7時でした。
ちょっと先にケレメット・スーという温泉があり、そこも行ってみたい場所でしたがもうやめます。
明日はビシュケクにいったん戻り、カザフスタンのアルマティに向かいます。
ビシュケク市内
9月9日は朝から雨模様です。ネットで調べると気温は12度。今日はビシュケクからほど近い大自然、アラ・アルチャ自然公園か、世界遺産のバラサグン遺跡、玄奘三蔵も訪れたアク・ベシム遺跡などを訪ねてみようと計画していましたが、この天気ではどこにも出かける気が失せました。ゲストハウスでぐだぐだ過ごすことにします。幸いこのゲストハウスはWifiの電波が強く、YouTubeもサクサク見られます。さらに日本人が置いていったコミックや小説がたくさんあり、長期滞在しても退屈しないようになっています。
昼食に出ると足は自然に昨日の日本食もどきの店に。でも…今日は閉まってました。
仕方ないので隣の地元料理の店へ。ここは並んでいるものを自分で選べるからいい。
写真なしのメニューしか持ってない店が一番困ります。
チキンと白米とスイカを選びました。195ソム(約300円)でした。
昼食後ちょっと贅沢にコーヒーを飲むことにしました。パンダ・カフェというおしゃれなカフェに入りました。アメリカン1杯が218.5ソム(約334円)とキルギスにしてはかなり高め。
昨日休館日のため入れなかった国立民族博物館に行くことにしました。でも今日も閉まっていました。警備の方と翻訳アプリを使って話したところ改修中で閉館中とか。
外で待っていた中国人の一団は館長と特別なコネがあるらしく、招待のメールを見せて入っていきました。知らないふりして一緒に入ろうとしましたがだめでした。
バスでオシュ・バザールに行くことにしました。ネット情報で、キルギスでとても便利なアプリとして紹介されていた「2GIS」を初めて使ってみました。ビシュケクには路線バス、トロリーバス、マルシュルートカと呼ばれるミニバスの3種のバスが走っています。キリル文字は慣れないですが、「2GIS」のルート検索で地図で出発地と目的地をポイントすると何番のどのバスに乗ればいいかたちどころに結果が出ます。また現在地を追っていけばどこで降りればいいかもわかります。
マルシュルートカは縦横に走っていて一番ヒットしやすい乗り物です。乗車賃もどこまで行っても10ソム(約15円)と安価です。便利でした。
オシュ・バザールは今まで見てきたバザールの中で最大規模でした。
入口付近で路上ルーレットをやっていたので写真に撮ろうとしたら、写真はダメとのジェスチャー。これだけ堂々とやっていて何を恐れるのでしょうか。
チーズも様々な種類があります。
中央アジアのはちみつも有名です。
明日はイシク・クルに移動します。
タシケントからビシュケクへ
旅の前半が終わり、これからキルギス(現地の言葉ではクルグズスタン)に移動します。
ウズベキスタンとキルギスの国境は現在封鎖されており、直接キルギスに渡ることができません。(Mさんによるとフェルガナ地方の一部国境は開いていてそこから入国したということですが、フェルガナ地方の国境は危険レベル3に指定されている場所。旅の達人でなければそんな危ないマネはできません。)
そこで陸路で移動するにはカザフスタンを経由しないといけません。空路で入ることもできますが料金がバカ高く設定されています。列車も運行されていますが週1便だけ。確実なのは長距離バスターミナルから日に2便(18:00と19:00発)出発する夜行バスに乗ることです。
ウズベキスタン航空でウルゲンチ空港からタシケント空港まで約1時間のフライトで戻って来ました。群がってくる白タクを無視し、空港からバスターミナルまではバスと地下鉄で移動することに。”rome2rio”で検索すると何番のバスに乗ればいいか、どこで乗り換えればいいかなど全てマップ付きで教えてくれるのです。バスは安くて便利です。もっと早く使えば良かった。
バスはワンマンで、降りる際にドライバーに現金を渡すようになっていましたが、ひとり白人のオヤジバックパッカーが後部ドアから降りてそのまま行こうとしました。ドライバーがそれに気づき呼び止めましたが、現地通貨を持ってない、というようなことを言ってそのまま立ち去ったのでした。気の小さい日本人はとてもあんなマネはできません。
バスチケットは早く売り切れると聞いてちょっと心配しましたが19:00のチケットを入手しました。もし売り切れていたら次善の策としてカザフスタンのシムケントまで自力で行ってそこから長距離バスを押さえるしかありませんでした。
バスは19:00に出発して1時間ほどでカザフスタンとの国境に到着。他の車も行列を作っていました。車を降りて荷物を持ち、出国審査の列に並びます。麻薬犬も2匹いて車の中やエンジン室まで隅々調べていました。出国審査は時間がかかり全員終わったのは90分後。バスに乗り10mほど行くと今度はカザフスタンの入国審査。またバスを降り荷物を持って列に並びます。入国審査は30分ぐらいで終わりました。
シムケントまでは約1時間の距離。そこを過ぎるとバスは進路を東に変えます。
照明が消え夜行バスになりましたが、ドライバーが自分の眠気防止のためか音楽をガンガンかけるため眠れやしません。こういう時のために耳栓も用意していたのですが、役に立ちませんでした。他の乗客たちは気にせず寝てましたがどういう神経をしているのだろうかと思います。結局最後まで音楽は止むことはありませんでした。
夜のカザフスタンはとても寒く真夏から真冬に来たようです。慣れている人はジャンパーを着ていました。
カザフスタンとキルギスはウズベキスタンより1時間早いので、時計を1時間進めました。カザフスタン時間7時(ウズベキスタン時間6時)ごろ夜明け。夜明けと同時に2回目の国境が近づいてきました。
またバスを降りて荷物を手に持ち、カザフスタンの出国審査を受けます。そのあと今度は歩いて10mほど行ってキルギスの入国審査を受けました。歩いて国境を渡ったのはこれが初めての経験です。今回は荷物検査もなく、簡単に審査が終わりました。
入国審査を出たところに両替屋がありました。US$100を両替したところ6790ソムに。日本円だと10,670円ぐらいなので、通貨の単位としてはかなりまともです。
ビシュケクバスターミナルに着いたのは朝10:30。14時間30分の長旅でした。
座席の隣にいたキルギス人の青年には入出国カードの書き方を教えてもらったり、通訳の代わりをしてもらったり、最後にはゲストハウスまで車で送ってもらったり大変お世話になりました。
ちょっと休憩後街歩き。
キルギスはウズベキスタン以上にキリル文字とロシア語の世界です。看板を見てもちんぷんかんぷんです。
公園や遊歩道はよく整備されていてきれいでした。
民族の英雄叙事詩のヒーロー、マナス王。
アラ・トー広場の向こうには天山山脈の雄姿を見ることができました。
キルギスは雲が多く肌寒い。用心で長袖1枚持ってきていて良かった。ゲストハウスのオーナーによると昨日までは夏だったのに、今日から天気が急変して秋になったとのこと。タイミングが悪すぎます。
街を歩いていて「RAMEN HOUSE」という看板を発見。ここならラーメンが食べられるかもしれないと期待。何しろ食あたりのせいで1日以上まともなものを食べてないので。
出てきたのはインスタントラーメンでした。それも日本のラーメンじゃなくて韓国の辛麺みたい。まあこれで生き返ったのだから贅沢は言うまい。
寿司のメニューもありましたが、内陸国のキルギスで寿司はかなり怪しい。
地元デパートの中にもう一つ日本もどきを発見。
おしゃれな雑貨を揃えていていかにも日本風ですが、ネットで調べてみると中国の広州の企業がやっているらしい。世界各地で展開しているらしく、そういえばキルギスの青年も日本の企業で成功している例として挙げていました。くまもんのイラストを使ったり、日本語を入れたりして日本企業を装っていて日本人以外なら騙されます。
カラ巡り
車を1日チャーターしてMさん、O君3人で古代ホラズム帝国遺跡巡りに出かけました。
古代ホラズム帝国はこの地に紀元前4世紀~紀元7世紀にあったとされます。
アム川の流れが変わるたびに城塞(カラ)を作り直したらしく、流域には1000以上の城塞跡があるということです。
一番有名なのがアヤズ・カラ。6-7世紀ごろの城塞。
(私は昨日ビールで悪酔いし体調不良のため城塞には登りませんでした。)
アヤズ・カラ近くには遊牧民のテント、ユルタ・キャンプ(モンゴルではゲル、中国ではパオ、中央アジアではユルタと呼ばれます)があります。ここでは宿泊も可能。
今回の旅ではユルタ・キャンプでの1泊も考えていたのですが、体調不良のためこれも取りやめました。
観光客用のらくだも2頭いました。
車で帰ろうとしたらおばさんが寄ってきて、1人1万スム払えという。ただじゃなかったのか。ガイドブックにも有料とは書いてなかったけど。
1~3世紀に栄えたクシャーナ朝時代のトプラク・カラ。住居跡などがしっかり残っています。
トプラク・カラの見学料は5000スムでした。
1~4世紀に建造されたキジル・カラ。外壁はだいぶん修復されています。
見学料は5000スムでした。
昼食は湖畔のユルタで。(果物しか食べられなかったですが。)
昼食後ユルタの中でしばらく昼寝、宿泊気分を味わいました。外は灼熱の太陽ですが、ユルタの中は涼しく、風が通り抜けると寒いぐらいです。
最古の城壁の一つ、カラジク・カラ。
ここは見学料なしでした。
チャーターした車のルームミラーにミニチュアのコーランがぶら下がっているのに気が付きました。中にはびっしり小さなアラビア文字が。これは読むためのものというよりお守りみたいなものでしょうか。
夕食も食べられそうにないので果物だけ食べることに。
バザールに寄ってもらって瓜を1玉購入。1キロ1000スム、7.5㎏だったので7500スムでした。日本円にしたら約85円。むっちゃ安いしむっちゃおいしいです。
明日はいったん飛行機でタシケントに戻り、そこから夜行バスでキルギスのビシュケクを目指す予定です。
ブハラからヒヴァへ
早朝3時AM起床。3:15にはホステルに手配してもらったタクシーに乗車。半袖だとちょっと肌寒い。
真っ暗な中、4:14に発車。二等寝台は上下2段ベッドの4人部屋コンパートメントで上の段を指定されました。下段の二人は就寝中、上段に上るはしごがないので戸惑いましたが壁に隠れているのを見つけて這い登りました。
出発後しばらくグーグルマップの現在地を見ながらトルクメニスタン領に入るのを今か今かと待ち構えていましたが、国境線に平行に進むばかりで一向にその気配がない。どうも様子が変です。
6:20運よく日の出を捉えることができました。
外の景色は草原からだんだんと砂漠に近くなってきました。
7:00には下段のお二人も起床し、朝食を食べ始めました。言葉は全く通じませんが、私にもしきりに一緒に食べようと誘います。パンと肉団子のようなものとお茶をごちそうになりました。肉団子の肉はなじみのない味でした。もしかしたら馬肉?
翻訳アプリを使って二人と会話しようとトライするも、砂漠の中のためでしょう、ネット接続ができず翻訳アプリも使えませんでした。残念。お二人はウルゲンチで下車。
砂漠を抜けると水田と綿花畑が広がっていました。綿花はヒヴァの主要産業の一つですが、途中の水を大量に使うためアラル海が消失の危機に瀕していると言われています。
結局最後までトルクメニスタン領内を通ることはなかったようです。確かにrome2rioのルート検索でも領内を通っていたし、下川裕治氏のエッセイにもそんなことが書かれていたのに。ルートが変
わったのでしょうか。
10:52終点のヒヴァ駅到着。ヒヴァ駅は去年出来たばかりの駅で、駅周辺はホテルなどの整備が進行中でした。
目的の世界遺産、イチャンカラまでは歩いていくことに。20分ぐらい歩く城壁が見えてきました。
イチャンカラはヒヴァ汗国の内城。18-19世紀の新しいものですが、当時のままにのこされていて、博物館都市に指定されています。
一足先にイチャンカラ入りしたMさんの情報によると、普通に正門である西門から入ると入場料を取られるので東門か北門から入ってください、とのこと。ガイドブックにも書いてないようなそんなことがあるのか、と思っていましたが、検問があるところを避けて壁沿いに歩いていったらいつのまにか城内に入っていました。抜け道はたくさんあるようです。
イチャンカラのシンボル、カルタ・ミノル。工事が中断し未完成のミナレットとなっています。
イチャンカラで最も高いミナレット。
スザニ工房はスザニ(ウズベキスタンを代表する刺繍)の制作過程を見学することができます。右側の女性は縦糸にスマホを挟んで誰かと会話しながら織っていました。何とも現代的です。
少なくなってきたスムを補うために両替所でUS$20を両替したら10万スム札が1枚入っていました。5万スム札が出たのもそんなに昔じゃないはずですが、もうそれを上回る札が出てきたのか。高額紙幣は使いづらいので5万スム札に変えてほしいと言ったら5万スム札はなくなったという。かわりに5000スム札20枚で渡されました。財布の中がまたパンパンになりました。
ブハラのホステルで出会った大学二年生のO君は夏休み1か月間を使って中央アジアからコーカサスまで旅行中。最初にお互い日本人と分かった時、「日本人ですか!?良かった~」、ってその気持ち良くわかります。MさんとO君と3人、別々にヒヴァにたどり着きましたが、翌日は3人で車をチャーターして古代ホラズム帝国の遺跡巡りをしようということになり、ビールで乾杯しました。